2008年12月10日

加勢大周被告、芸能界引退を表明 「田舎で一から出直し」

加勢大周被告、芸能界引退を表明 「田舎で一から出直し」

 「こんなことで、今までやってきたことを自分の手で終わらせてしまい、とんでもないことをした」−。10日東京地裁で開かれた俳優、加勢大周被告(38)=本名・川本伸博=の初公判。

被告人質問で加勢被告は「田舎の親元に戻って一からやり直したい」と述べ、芸能界から身を引く意向を示した。すでに、東京都世田谷区の自宅マンションは引き払っており、社会復帰後には北海道函館市の実家に戻る見通しだ。

初公判は午前10時に開廷。頭髪は丸刈り。ほほもこけたように見えた。そこには、トレンディー俳優として名をはせたころの輝きはみられない。「自分なりに静かなところで反省して、判決を受けたい」と保釈は申請しなかったという。

 加勢被告は被告人質問で、弁護人から大麻などを使った動機を問われると、氏名の差し止め訴訟や離婚問題などで悩みが深かったことを挙げ、「僕はすべて昔話で済ませたかったが、どうしても、取材や共演する人から、そこを聞かれてしまう。自分が楽になれば、というのが理由だった」と話した。

 薬物使用については、「人間が人間としての精神を保てなくなる。暴力団の資金源になっており、悪影響を及ぼす」と反省。「こんなことで人を裏切りたくないし、悲しませたくない。もうこんなことはしません」と述べ、二度と手を出さないことを誓った。

 この日は情状証人として函館市に住む父親が出廷。時折、泣き崩れながら、「(加勢被告が)大丈夫になるまでは側にいたい。身を引き締め、新しい状態にしたい」と実家で監督していく意向を示すと、加勢被告は下を向いたまま青いハンカチで涙をぬぐっていた。

俳優の加勢大周容疑者を逮捕 覚醒剤と大麻所持で10月5日

加勢大周かせたいしゅう、本名: 川本 伸博(かわもと のぶひろ)、1969年12月29日 - )
兄の妻のおじに前川清がいる

1989年、東京都立玉川高等学校卒業。

1990年、桑田佳祐初監督の映画『稲村ジェーン』で主役に抜擢され俳優デビュー。その後吉田栄作・織田裕二とともに「トレンディ御三家」(平成御三家とも)と呼ばれ、ドラマにも引っ張りだこだった。

ところが、1991年に加勢が実母を社長に据えて個人事務所を設立し前事務所からの独立を画策した際に、前事務所が芸名の使用の停止を求めて裁判所に提訴し揉めに揉めた。前事務所が「加勢大周」という名前を商標登録していたためである。「加勢大周」という芸名は、前事務所社長が敬愛する幕末の勝海舟から名付けたものであり愛着があったという。1年3ヶ月の裁判の結果、勝訴となり加勢大周の芸名は認められたが、その後前所属事務所が「新加勢大周」として同名タレントをデビューさせる。ただ、すぐに坂本一生(幕末の坂本龍馬から)と改名。プロダクション側は「加勢大周の名をプレゼントする」とインタビューで公言しこの問題は収束した。

1995年頃からは助演としての出演が目立ってくるようになった。この頃から、台湾のTVドラマへの出演を始め、現地で人気を博した。また、同年に“カルトの帝王”と呼ばれた石井輝男監督のアクション映画『無頼平野』に主演。

2005年から「くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン」、2006年からはゴールデンに昇格した「くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!」の「ベタドラマ」にベタ男役として出演。

笑っていいとも出演時に(2006年1月6日)、オートレースが大好きであると公言している。

2008年10月5日、東京都世田谷区新町2丁目の自宅マンションにて、覚せい剤3グラムと乾燥大麻9.4グラムを所持していたとして、覚せい剤取締法違反(所持)と大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕された。尿検査では覚せい剤使用の陽性反応が出ており、自宅からは栽培中の大麻草25株や覚せい剤を使う為のものと見られる注射器なども見つかっている[2]。また、これにより放送中であった出演ドラマキッパリ!!は打ち切りとなった[3]。 同年12月10日東京地裁で開かれた初公判で加勢被告は「田舎の親元に戻って一からやり直したい」と述べ、芸能界から身を引く意向を示した

加勢大周 - Wikipedia

加勢大周とは - はてなキーワード


タグ:加勢大周
posted by ぴかまま at 16:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能
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