2009年06月03日

鼠先輩、今年限りで芸能界引退へ 「パッと散るのが定め」と意志固く

鼠先輩、今年限りで芸能界引退へ 「パッと散るのが定め」と意志固く6月3日17時59分配信 オリコン

芸能界引退を発表した鼠先輩 .

 昨年6月に「六本木〜GIROPPON〜」でメジャーデビューしたばかりの歌手・鼠先輩が3日午後、東京・六本木のホテルで会見を開き、年内で芸能界から引退することを発表した。パンチパーマで「ぽ」を連呼する印象的なサビで一世を風靡したが「私は一発屋。桜のようにパッと咲き、パッと散るのが定めだと思う」と決意を固めた。

 紫色のスーツ姿で会見に臨んだ鼠先輩は「子供の頃から歌手や芸能界で活躍するのが夢で、こうしてなれたが思った以上に厳しく、収入も普通のサラリーマン程度とお金にもならなかった」と引退の要因をあげ「きれいサッパリ引退して足を洗います。人生一度きりですので、これからはハローワークに通い自分が好きで楽しいと思える道にいきたい」とした。

 所属事務所によると、元々“一発屋”というポジションを深く理解していた鼠先輩と今年に入ってから「デビュー1周年(6月)に最後のシングルを発売して、引退発表をしよう」ということで話し合いが持たれていたという。今月17日(水)にはラストシングル「おかね」を発売、さらに21日(日)には東京・渋谷で『さよなら先輩〜鼠と愉快な仲間たち〜』と題したライブを行う。

 「自分の思っていることをちゃんと伝えたかった」と終始笑い無しで会見を行った鼠先輩。「芸能界は、長く続けることが難しい世界。地方に行けたり子供たちに喜んでもらったり、本当にファンの方には感謝している。でも、妻や子供もいる状況で(低収入は引退の要因として)大きかった」と現実的な本音もチラリ。

 報道陣からは「新人だと当然では?」という厳しい指摘もあったが「名前を変えたりするのを含めて再デビューや復帰はありません」と言い切った。デビュー時から常に“引退”を念頭に入れて活動してきた鼠先輩のラストスパートが今、始まった。

鼠先輩(ねずみせんぱい、1973年4月5日 - )は、岡山県赤磐市(旧赤磐郡山陽町)出身のムード歌謡歌手、タレントである。出生地は大阪府堺市。赤磐市立高陽中学校卒業、岡山県立備作高等学校(現・岡山県立和気閑谷高等学校)中退。既婚者で子供もいる。芸映所属、血液型はA型、星座は牡羊座。
1973年大阪府堺市に生まれ、3歳位まで過ごした後岡山に引越す。1990年岡山県立備作高等学校(現・岡山県立和気閑谷高等学校)を中退後に大阪に3〜4年程過ごし、プロの歌手を目指してボーカルスクールに通い始める。この頃THE BLUE HEARTSのコピーバンドを結成、後にバンド名を「スペルマギャング」とし、このバンドでNHK主催の『BSヤングバトル』全国大会に出場する。出場後間も無くしてバンドは解散。 高校を中退して岡山にいた18歳の頃には、3歳年上の彼女が音楽の勉強の為に上京していく[2]。

1993年頃、歌謡歌手を目指す目的と、彼女を追いかける目的から東京へ転住し、数々のアルバイト経験を積み重ねたり[3]、映像作品の監督などもしていた。

地元の彼女と別れる際には「30歳になる10年後の8月1日、昼の12時に東京タワーの下で会おう」と約束を交わしていた。それ以降連絡を取っていなかったが、約束の2003年の8月1日に東京タワーの下に朝から待ち続けていると夕暮れ頃に彼女と再会を果たした。鼠先輩はそこで彼女に告白するが断られてしまった。 この話を聞いた知人のプロデューサー松嶋重が、その彼女の働く場所を舞台にして作った歌が『六本木〜GIROPPON〜』である。その後レコード・デビューを機に彼女に再度告白。結婚し現在に至る。

2008年に松嶋重のプロデュースによりユニバーサルよりメジャーデビュー[4]、 デビュー曲「六本木〜GIROPPON〜」がジェロの「海雪」を抜いて着うた歌謡・演歌チャートで1位となった[5]。

2009年、自身がボーカルを務めるバンド「THE SUPER RATS」を結成

鼠先輩 - Wikipedia

. 鼠先輩オフィシャルサイト
鼠先輩公式ブログ『みずかけ論』」


posted by ぴかまま at 19:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。