2009年06月11日

モーグル・上村愛子さん結婚

上村愛子の未来は? タレント業なら引く手あまた

皆川、愛子の思いに応える!「夫婦で1つのメダルを」…アルペン
開会式視聴率25・4%、女子モーグル17・9%
皆川賢太郎、4度目の五輪へ〜愛子夫の皆川「彼女は最高の滑り見せた」
4位の上村、涙「悔しいけど満足」
<五輪モーグル>上村は4位 カーニー優勝 村田8位
上村愛子ら4選手がCM競演-

★★★2009.6.11

モーグル界のアイドル、2010年バンクーバー五輪の出場が確実視されている、上村愛子さん29歳は、アルペンスキー選手で3大会連続でオリンピックに出場しているという、かねてより噂のイケメンスキーヤー皆川賢太郎さん32歳と2年越のお付き合いを経て、結婚したそうです。

上村愛子うえむらあいこ、1979年12月9日 - )は、兵庫県伊丹市出身のモーグルスキーヤー。身長156cm、体重48Kg。血液型はAB型。北野建設スキー部所属。スポーツビズとマネジメント契約をしている。2008年、紫綬褒章受章。

1979年12月9日、兵庫県伊丹市鴻池にて誕生。
1981年、2歳のとき、両親のペンション経営開業にともない、長野県長和町エコーバレースキー場付近に転居し、同地で1982年、3歳からスキーを始める。
1986年、両親が別物件のペンション経営を行うため、長野県北安曇郡白馬村に転居し、白馬村立白馬北小学校に進学、同地でアルペンスキーを始める。
1994年、白馬中学校2年在学中にカナダに旅行した際観戦したモーグルスキーブラッコム大会で目の当たりにした、ロシアのセルゲイ・シュプレツォフの滑走に感銘を受ける。また、同大会で、頭角を顕しつつあった「テディベア」の愛称を持つ里谷多英の滑走を観戦する。この経験で帰国後アルペンスキーからモーグルに転向する。
1995年、長野県白馬高等学校に進学、スキー部に所属。自身二度目となる全日本選手権に参戦し3位入賞、全日本スキー連盟(SAJ)ナショナルチームメンバーに選抜される
1996年、ワールドカップ最終戦マイリンゲン大会に初出場、高校1年生で3位入賞という快挙を成し遂げ、モーグルファンから注目を浴びるようになる。同大会の男子優勝者は同じ日本代表の坂本豪大であり、モーグル競技における初の日本選手W杯優勝であると同時に、初の日本選手男女アベック表彰台となった。
1998年、18歳で出場した長野オリンピックで7位入賞。同年3月、白馬高校を卒業し北野建設に入社、社会人としての競技生活を開始する。このオリンピックの前後からテレビ・雑誌など多くのメディアで注目されるようになり、18才でのオリンピック出場・整ったルックスなどの話題性もありテレビCMにも起用されるなど、日本における冬季スポーツの有名選手の1人になる。
2002年、メダル獲得が期待されたソルトレイクシティオリンピックに参戦するも、6位入賞にとどまる。
2002年-2003年シーズンのレークプラシッド大会において、FISワールドカップ初優勝。
2004年-2005年シーズンのヴォス大会において、ワールドカップ2勝目を挙げる。
2006年トリノオリンピックに参戦、女子選手ではほとんど挑戦しない「3D(空中で縦方向と横方向の両方に身体を回転させる)」と分類される大技エア「コークスクリュー」を成功させるも5位入賞に終わった。難易度が高いエア技を習得し、本番でも見事に成功させたにもかかわらず3位以内入賞を果たせなかった同大会終了後のインタビューにおいて、本人は努めて明るく振舞いながらも薄っすらと悔し涙を浮かべ、「一体どうすればオリンピックの表彰台に乗れるのかが…ナゾです…」と自嘲気味にコメントしている。

2005年-2006年シーズンが明け、2006年からはヤンネ・ラハテラに師事。ラハテラは、採点配分の低いエアー技にこだわる上村を説き伏せ、ターン技術とスピードアップを求め、負傷に苦しんだ上村を励まして徹底した走法改善を施した。これにより、従来苦手としていた上村のターン技術が飛躍的に向上した。
2007年-2008年シーズン、リステルスキーファンタジア(猪苗代大会)におけるシングルモーグル競技にてFISワールドカップ通算3勝目を挙げ、続くマリアーンスケー・ラーズニェ大会に於いてもデュアルモーグル決勝で連勝して通算4勝目を挙げ、自身初のイエロービブ(種目別年間暫定総合1位選手にのみ着用を許される黄色いゼッケンビブ)を与えられた。
そして迎えたオーレ大会ではシングル、デュアルの2連戦を連続制覇し、FISワールドカップ通算勝利数を6勝とすると同時に、最終戦を待たず日本人モーグル選手として初めてのFISワールドカップ年間総合女王の座を掴んだ。
総合優勝を決めた後の最終戦のバルマレンコ大会のシングルモーグルでも優勝し、何と終盤だけで5連勝という快進撃でシーズンを見事に締め括った上村愛子 - Wikipedia

上村愛子オフィシャルブログ



皆川賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )は、日本のアルペンスキー選手。主に回転で活躍している。新潟県南魚沼郡湯沢町出身。チームアルビレックス新潟所属。父は元競輪選手。日本体育大学卒業。現在、スキーはアトミックを使用している。
1998年、長野オリンピック代表、2002年、ソルトレイクシティオリンピック代表。2006年、トリノオリンピック代表 日本体育大学在学中に初出場 オリンピック3大会連続出場。

2000年2月、ワールドカップ・スラローム、オーストリア・キッツビューエル大会で、ゼッケン60番から6位に入賞し、世界のトップスラローマーの仲間入りを果たした。同年3月、韓国・竜平市大会でも6位に入賞している。

2000年、セストリエール大会で6位、2001年キッツビューエル大会で8位、シュラドミング大会で10位、そしてサンアントンでの世界選手権で10位と立て続けに好成績を残し、第1シード入りを果たす。日本人としては4人目の第1シード選手となった。

同年11月に足首を捻挫。その怪我を押して出場した、シュラドミング大会の2本目にベストタイムを獲得。日本人としては3人目のベストタイム獲得者となったものの、同シーズンの2002年3月、長野県・野沢温泉での大会中に左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う。

以降、2年間はワールドカップに復帰しても2本目に残れないレースが続き低迷していたものの、2005年スロベニア・クラニスカゴラ大会で7位に入り、再び上昇の兆しを見せていた。

2006年、第5戦スイス・ウェンゲン大会で自己最高の4位をマーク。シュラドミング大会でも6位に入り、輝きを取り戻した。

トリノオリンピック・男子回転では1本目トップと0.07秒差の3位につけた。メダルを狙ってスタートした2本目、スタート直後にバックルが外れるというアクシデントがあったが、最後まで攻め続け、3位と0.03秒差の4位。メダルは逃したものの、7位の湯浅直樹とともに1956年コルティナダンペッツォオリンピックの猪谷千春以来50年ぶりの日本人選手の入賞となった。この4位入賞により第1シードに復帰した。

オリンピック後、初のワールドカップ・志賀高原大会で6位に入賞。

2006年、11月12日、ワールドカップ開幕戦のフィンランド・レヴィ大会で13位入賞。11月29日、アメリカで行なわれたワールドカップの1ランク下の大会、コンチネンタルカップ・北米カップで優勝した。 しかし、12月8日、オーストリアで練習中に右膝前十字靭帯を損傷し、2006-07シーズンの残りは治療に専念することになった。
皆川賢太郎は、身長173cmと、アルペンスキーの選手の中では小柄な選手である。身体の大きさがタイムに直結する現在のスラローム競技において、時代の流れを読み取る能力、そして彼独自の分析とアイデアで編み出した独創的なテクニックを武器にして世界に挑んでいる。皆川賢太郎 - Wikipedia



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