2009年08月17日

この人物のオモテとウラ 今回のオモテとウラは相沢正久(サンミュージック社長)

この人物のオモテとウラ 今回のオモテとウラは相沢正久(サンミュージック社長)
2009年8月17日(月)10時0分配信 日刊ゲンダイ

●大所帯ゆえの“落とし穴”!?

 のりピーの覚醒剤事件に絡み、所属事務所社長として、連日、会見を開いてテレビに出まくった。夫の逮捕直後、行方不明になった酒井法子の“捜索願を出した”という4日の会見に始まり、一転、逮捕状の出た7日には「(覚醒剤を使用している様子は)まったくありませんでした。一刻も早く出てきて」と苦しげな表情で語った。

 心労から寝込んだともいわれ、酒井が出頭した8日の夜は制作部長が代わって会見。9日朝に改めて会見を開き、「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」と謝罪した。

 日に日にやつれ、顔色も悪くなる相沢社長を気の毒な目で見る向きもある半面、酒井の異変に気づかず、酒井夫婦の別居も知らないなど、所属タレントの管理・監督の甘さなどが指摘された。

 サンミュージックは現在、所属タレントが200人、社員も100人以上いる大所帯。一人一人に目が行き届かなくなっているのではないか。しかも、酒井は結婚し、すでに1児の母親。デビューから14年も支えてきたマネジャーが00年に自殺したこともあり、事務所が酒井の行動を把握できる状態ではなかったのだろう。

 行方不明になってから一度も酒井から連絡がなかったとは、相沢社長もさぞショックに違いない。相沢社長は酒井を「ミス・ヘアコロンイメージガール全国大会」で見初め、社内の反対を押し切ってスカウトした文字通りの育ての親。当時14歳だった酒井を、事務所社長だった父親の自宅で面倒を見ていた。

「デビュー当初はファンクラブをつくるなどして、プロモーションに力を入れた。日本でブレーク後、台湾など海外への進出も相沢社長が率先して行った。今まではそれにこたえてきた酒井を、信頼していたのでしょう」(芸能ライター)

 1949年3月8日、神奈川生まれ。大学は米カリフォルニアに留学し、経営学を学んだ。卒業後、帰国し、旅行会社に勤務。79年、「サンミュージックプロダクション」のグループ企業「サンミュージック企画」に入社した。広告会社へのタレントの売り込みから始め、酒井のほか早見優、ベッキーなどを育てた。

 お笑い部門を設立したのも相沢社長だ。「歌、俳優、お笑いを3本柱に」と、96年、お笑い部門を立ち上げ、カンニング、小島よしおなどを売れっ子に。04年6月には、お笑いタレント育成学校「TOKYO☆笑BIZ」を開校。2世社長、穏やかな口調に似合わず、かなりのやり手で、同年12月、サンミュージックプロダクションの社長に就任した。

 お笑いはほかの事務所から移籍してきたタレントも多い。松田聖子や都はるみなど、かつての所属タレントを再度、引き受けるなど、面倒見もいい。もっとも、これだけ社会を騒がせたのりピーについては、さすがのやり手も守りきれないようだ。

(日刊ゲンダイ2009年8月14日掲載)

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posted by ぴかまま at 17:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日刊ゲンダイから
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