2009年11月11日

知床旅情ありがとう…森繁さん死去に秘境も悲嘆

知床旅情ありがとう…森繁さん死去に秘境も悲嘆11月11日0時51分配信 読売新聞

北海道・羅臼町に立つ知床旅情の歌碑と森繁さんの銅像

 ありがとう、森繁さん――。戦後日本の大衆演劇を牽引(けんいん)し、北海道とも縁の深かった俳優の森繁久弥さんが10日朝、亡くなった。

 森繁さんが「知床旅情」を作詞作曲してから半世紀。この曲が全国的に大ヒットし、知床の魅力が全国に知れ渡った後も、折に触れて北海道との親交を深めてきたとあって、道内のゆかりの人々はその死を惜しみつつ、口々に感謝の言葉を述べた。

 森繁さんが「知床旅情」を作ったのは1960年。映画「地の涯(はて)に生きるもの」の撮影で訪れた知床で、ロケに協力した地域住民と仲が良くなり、撮影最終日に感謝の気持ちを込めて一晩で仕上げたものが原曲になった。その後、加藤登紀子さんの歌で大ヒットし、知床ブームがわき起こった。

 ロケの時に羅臼村(当時)の職員として受け入れを担当した羅臼町元助役の志賀謙治さん(85)は、「森繁さんはお酒が好きで、羅臼にあった14〜15軒の店をほとんど飲み歩いた。旅館に戻る頃には国後の方が明るくなっていて、その体験が知床旅情の『白夜は明ける』という歌詞につながったと聞きました」と思い出を振り返りながら「長い間ご苦労さまでした。いい歌をこの世に残してくれたことに感謝します」としみじみ語った。

 このロケで森繁さんと共演したのは前斜里町長の午来昌さん(73)。当時は喜劇役者のイメージが強かった森繁さんが、頑固者の漁師役を演じる時、「撮影が始まると顔の表情、雰囲気がガラッと変わり、男の中の男の厳しい表情になった。さすが大物役者だと感心した」という。午来さんは「知床に大きな流れを作った偉人。いつも知床のことを気にかけてくれて、町長に当選したとき『善政を頼む』とメッセージをくれた。本当に素晴らしい方だった」と声を詰まらせた。

 映画ロケの際に斜里町商工会長として森繁さんを案内した滝川一馬さん(故人)の長女で札幌市の溜谷真弓さん(63)は、家族ぐるみで森繁さんと親交があった。「71年に私が結婚した時、出席してくれた森繁さんがアカペラで知床旅情を歌ってくれました。張りのある歌声に、出席者全員がしみじみと聞き入ったものです。お亡くなりになり、残念でなりません」と別れを惜しんだ。

 森繁さんは74年、池田町に完成した「池田ワイン城」の落成式に出席し、式典では来賓や町民約5000人とともに「知床旅情」を大合唱したこともあった。当時、池田町長だった丸谷金保さん(90)は「歌声が響き渡り、隣町で『暴動では』と騒ぎになったほど。森繁さんは『こんな田舎に、こんな城を作った池田の町づくりに感動したからギャラは要らない』と言ってくれた」と当時を懐かしんだ。

 森繁さんが知床旅情を作詞作曲してから来年で50周年を迎えるため、地元では祝賀イベントも予定されていた。羅臼町の脇紀美夫町長(68)は、「記念行事を考えていただけに本当に残念。知床が世界遺産となり、今の羅臼の観光があるのは、森繁さんのお陰です。安らかにお眠り下さい」と話していた。 最終更新:11月11日0時51分



タグ:森繁久弥
posted by ぴかまま at 07:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能
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