2015年08月23日

DAIGO涙のゴールに「人生を描いているかのよう」 (webザテレビジョン) /『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手 (NEWS ポストセブン)

DAIGO涙のゴールに「人生を描いているかのよう」 (webザテレビジョン) - Yahoo!ニュース
8月22日から23日にかけて日本テレビ系で放送された「24時間テレビ38 愛は地球を救う」で、24時間の100kmのマラソンに挑戦したDAIGOが、メインパーソナリティーのV6とHey! Say! JUMPらに迎えられ、涙を見せながら8月23日夜8時44分にゴールした。
DAIGOは「本当にタスキをつなげられて良かった。100kmマラソンは一人の人生を描いているかのようだった。すてきな人生でしたよ」と長い道のりを人生に例えながら語った。

涙の理由については「プレッシャーや不安がある中で、達成できたという気持ちが一気に出てしまった。あんまり泣かない人なんですけど…」と胸の内を明かした。

さらに「僕も『サライ』を一緒に口ずさめて幸せだった。ただ僕がここにいていいのかな…と思っていた。僕が真ん中で座ってて、後ろに谷村(新司)さんや加山(雄三)さんが立ってるなんて…」と感慨深げ。

また「いろいろな人がいる中で、いろいろなきっかけでつながれるんだなぁと思いました。このタスキでお会いしたことがない人ともつながることができました」と語り、日本全国の思いをつなぐタスキリレーアンカーとしての役割を終えた。

番組の放送終了後には「自分じゃないようなパワーが出せました。24時間テレビマラソンで走ることができて本当に良かったと心から思います。ありがとうございました」と会場に集まったファンたちに感謝の言葉を述べた。

その後水卜麻美アナウンサーから「DAIGOさんはこの後メディカルチェックがありますので、これでお休みしていただくことになります」と促されると、DAIGOは「メディカルチェックなんてあるんですか、“MD”が? それは行かないとだ」と24時間の疲れを見せずにおどけてみせ、去り際には得意の“ロックポーズ”を披露し会場を後にした。

見事、100kmマラソンを完走したDAIGO。この激走の舞台裏は8月24日(月)夜9時より「密着!DAIGO24時間マラソン舞台裏〜タスキの想いをつないだ激走100km〜」(日本テレビ系)にて明かされる。


『24時間テレビ』続く理由 初回・高校生の一言からの大拍手 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
1978年の第1回放送から37回目を迎えた日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(8月22・23日放送)。今年は、チャリティーマラソンランナーにDAIGOが選ばれ、100キロを走る予定だ。このコーナーは1992年から設けられ、名物企画となっており、今では“マラソンのない24時間テレビ”を知らない世代も多数存在するようになった。

 そもそもの『24時間テレビ』の始まりを振り返ると、当時の大人気番組『11PM』(日本テレビ系)までさかのぼる。同番組は1975 年から「スウェーデンの福祉」などの企画を年に3回ほど放送しており、都築忠彦プロデューサーがその延長線上で『24時間テレビ』を発案。日本テレビは『開局25周年記念特別番組』として、1978年に1回きりの放送をする予定だった。

 その時のテーマは『寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を!』と明確に掲げられており、『11PM』の司会者でもあるキャスターを務めた大橋巨泉は番組の最後に、「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけていた。

 チャリティーという意識が浸透していない時代に、『24時間テレビ』の持つ意義はとても大きかった。

 第1回目のチャリティーパーソナリティは萩本欽一、大竹しのぶが務め、番組キャスターには東京では大橋巨泉、竹下景子、大阪では横山やすし、西川きよしが起用された。

 また、現在の番組テーマ曲はエンディングで必ず歌われる『サライ』だが、第1回目は「番組シンボル」であるピンク・レディーが、テーマ曲『2001年愛の詩』を歌っていた。電話で視聴者からのメッセージを受け付けると、その電話は鳴り止まない。時には欽ちゃんなどのタレントが話し込む場面もあった。24時間で189万本もの電話があり、スタジオに繋がったのはたったの7万本。3.7%の確率でしか繋がらなかった。古参の芸能記者が話す。

「初開催とあって、とにかく盛り上がりが凄かったんです。代々木公園で行なわれたグランドフィナーレには、萩本欽一と大竹しのぶ、ピンク・レディーが登壇。テレビを見ていた視聴者が会場に押し寄せ、後方のカメラからでも入りきらないほどの人だかりとなりました。欽ちゃんや大竹がステージの上から客席に手を伸ばし、直接募金をもらいに行くと、波を打つように人が集まってきました。

 また、街頭で募金を集めていたタモリが黄色いTシャツと白い短パン姿、青と白のシマシマ靴下で、なぜか聖火ランナーとして登場。聖火台に点火していました(笑)」

 現在はジャニーズ事務所所属タレントが司会を務めることもあり、会場となる日本武道館には女性ファンが大半を占めている。しかし、第1回目の代々木公園には男性や子供ばかりだった。

「人気絶頂のピンク・レディーがいたからという理由もあるでしょうが、それ以上に番組に対する熱狂が凄かった」(同前)

 サポート役として進行していた徳光和夫氏(当時日テレアナウンサー)が会場へ降り、「こんなことを欽ちゃんたちに言いたいということがあれば、手を上げてください」と質問を募った。すると、千葉から訪れた高校3年生の男子が熱く訴えかけた。

「欽ちゃんさ、あの聖火みたいにさ、今日1日で消さないでさ、ずっと続けてよ。これ消えちゃったら、つまんないじゃない? タモリも頑張ってよ。どんどん訴えて、笑いで」

 会場からは拍手が巻き起こり、欽ちゃんも「そうだよなあ!」と呼応。「笑いで訴えて」と言われたタモリは「わかりました」と冷静に対応していた。

 この熱狂ぶりに、当時の小林與三次日本テレビ社長が舞台裏から突然登場。欽ちゃんからマイクを奪い、「全国の皆さん、ありがとう。心から御礼申し上げます」と感謝。欽ちゃんが会場を指差し、「また来年もやってくれと言ってますよ」と問い掛けると、「ご支持いただくなら、何度でもやります! そういう必要がある限り」と力強く宣言。すると、会場からは小林社長の声をかき消してしまうほどの大拍手が巻き起こり、翌年以降の開催も決まったのである。

 盛り上がりに比例するように、最終的な募金額は12億円近くに上り、日本初の大型チャリティー番組は大成功に終わった。あの熱狂から37年。今も番組は続いている。 
posted by ぴかまま at 09:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 24時間テレビ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/424754475

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。