2008年09月10日

<草柳文恵さん>自宅ベランダで首をつり自殺 病気苦に?

<草柳文恵さん>自宅ベランダで首をつり自殺 病気苦に?
2008年9月9日(火)13時37分配信 毎日新聞

 9日午前5時50分ごろ、東京都中央区佃2の高層マンションの46階にあるキャスターの草柳文恵さん(54)の自宅ベランダで、草柳さんが首をつっているのを同居する母親が発見、警備会社を通じ110番した。草柳さんは病院に運ばれたが、死亡が確認された。

部屋には家族あての遺書が残されており、警視庁月島署は自殺とみて調べている。

 調べでは、草柳さんはベランダの外に体を投げ出すような形で首をつっていた。母親と2人暮らしで、昨年5月に手術を受けた病気のことで悩んでいたという。

 草柳さんは、評論家の故草柳大蔵さんの長女。テレビやラジオ番組の司会者やリポーターとして活躍した。【古関俊樹】

★★★

エッセイスト草柳文恵さん、自宅ベランダで首をつり死亡
2008年9月9日(火)13時7分配信 読売新聞

 9日午前5時50分ごろ、東京都中央区佃のマンション46階のベランダで、この部屋に住むエッセイスト草柳文恵さん(54)が手すりにひものようなものを掛けて首をつっているのを、同居している母親が発見した。

 草柳さんは病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。室内には家族にあてた遺書のようなものがあり、警視庁月島署は自殺とみている。

 同署副署長によると、草柳さんは持病で悩んでおり、昨年5月には手術を受け、現在も通院していたという。

 草柳さんは、評論家の草柳大蔵さんの娘で、テレビ番組のキャスターのほか、政府の観光政策審議会委員なども務めた。

テレビ、ラジオの司会やリポーターのほか、エッセイストとしても活躍。「草柳文恵のさわやかトーク」などの著書がある。

★★★

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

草柳文惠くさやなぎふみえ、1954年1月26日 - 2008年9月9日)は日本の女性キャスター、エッセイストである。

1954年1月26日、神奈川県に生まれる。
父は戦後を代表するジャーナリスト・評論家の草柳大蔵。
1974年、大学在学時第18回ミス東京コンテスト第1位に選ばれ、その後は東京都の海外親善使節などを務める。
1976年、青山学院大学フランス文学科卒業後、マスコミで活躍。
将棋棋士・真部一男(2007年死去)と結婚するが、のち離婚。
2008年9月9日、東京都中央区の自宅マンションにて自殺を図り病院に搬送されたが、後に死亡が確認された[1]。54歳没
草柳文惠 - Wikipedia

草柳大蔵(くさやなぎ・だいぞう 大正13年(1924年)7月18日 - 平成14年(2002年)7月22日)は日本の評論家、ノンフィクション作家、戦後を代表するジャーナリスト、神奈川県横浜市鶴見区出身。長女はテレビキャスターの草柳文惠。

昭和20年(1945年)、東京帝国大学に入り、在学中に学徒出陣し、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後、復学し昭和23年(1948年)、同大法学部政治学科を卒業。八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、昭和24年に人員整理で退職。自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経て、その間、昭和27年(1952年)から大宅壮一の助手としてに2年間師事。昭和31年(1956年)『週刊新潮』創刊に加わり、当初はリライターとしての起用だったが、次第に特集記事をまかされるようになり、記者の取材結果を草柳がアンカーとして記事にするという分業体制も生まれた。昭和33年(1958年)『女性自身』の創刊に参画。同年からフリーランサーとなり、週刊誌の草創期に自らアンカーとなった取材・執筆の「草柳グループ」を率いた。

昭和37年(1962年)、『芸術生活』に「山河に芸術ありて」を連載し、初めて評論家として署名で仕事を始める、人物、芸術、世相などの評論活動を行う。昭和41年(1966年)、『文藝春秋』に連載した「現代王国論」で文藝春秋読者賞を受賞。一貫して、いまある日本はいかにして形づくられたのか、という問いを維持しつづけてきた。昭和59年(1984年)にNHK放送文化賞を獲得、内外調査会理事、NHK経営委員、静岡県人づくり百年の計委員会の会長等を歴任。

主な著作は『現代王国論』、『実録 満鉄調査部』上・下、『官僚王国論』、『ものを見る眼・仕事をする眼』、『内務省対占領軍』、『日本解体』、『昭和天皇と秋刀魚』、『池田大作論』ほか多数。

平成14年(2002年)7月22日、静岡県熱海市の自宅にて逝去、享年78。歿後、平成15年(2003年)3月に夫人草柳アキから蔵書の一部(7148冊)が静岡県立中央図書館に寄贈され、“草柳大蔵コーナー”と名付けられた

現:東北楽天ゴールデンイーグルス監督の野村克也が、人生で大きく影響を受けた人物である。南海ホークス選手兼任監督時代、沙知代夫人の知人であったことで、夫人から紹介され、読書を勧められたことがきっかけで、よき相談相手となっていた。1977年の南海監督解任時には、夫人が南海球団によってスケープゴートにされたと激怒した。野村がこのまま現役引退したほうがいいのかと相談をしたところ、「42歳ならまだ若い。当時のフランスのフォール首相は、75歳でロシア語の勉強を始めた」という事例を語り、何事も生きているうちは勉強という「生涯一書生」という言葉に送った。それにあやかり「生涯一捕手」という、のちの代名詞が生まれた。また現役引退後、大企業の経営者相手の講演の際、何を喋ったらいいかわからず、2時間の予定が30分ほどで終わることもしばしばあった。そこで「経営者の人たちは、経営学の話なんか誰も興味が無い、あなたの野球に纏わる話を聞きたいから集まってくれている。絶対に野球の話以外はしたらいけない」とアドバイスを送った。草柳大蔵 - Wikipedia

草柳文恵 プロフィール - goo ニュース

草柳文恵とは - はてなダイアリー

草柳文恵(くさやなぎふみえ)の画数 運勢 http://mei.longseller.org/o8/i8969.html

posted by ぴかまま at 08:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 訃報・草柳文恵さん
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。